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0時に山小屋を出発しましたが、当然外は真っ暗です。ヘッドライトで岩肌の急な斜面を登るわけですが、意外と足元は確認でき、安全に登山可能でした。しかし、山頂に近づくにつれ、徐々に登山客で混んできます。御来光館が最後の山小屋になりますが、この時点でかなり登山客が増えてきて、9合目ごろには列になって登る形になり、自由に休憩が取れなくなりました。前日の疲労と寝不足で、右股関節が痛くなって上がらなくなりましたが、手で膝を持ち上げることで何とか登ります。金剛杖がすごく役立ちました。頂上が近づくにつれ体力の限界を感じましたが、整理員が2列になって止まらずに登ってくださいなどのアナウンスがあり、気合だけで登ります。真っ暗なので景色も何もなく、小股で少しずつ登りました。この頃になると一緒に登った長男との体力差が顕著で、もう息子にはついていけません。それでも何とか登り続けた結果、鳥居をくぐり頂上にたどり着けました。
頂上についてほっとしましたが、この時点で4時になっており、頂上にはすでに多くの登山客がいます。さらに続々としたから頂上に向かって登山客が明かりの列を作って登ってきます。神社以外に何があるのかわからない状況でしたが、気が付けば、空には太陽の光が既に見え始めて、東の空は明るんできていました。富士山を登り切った喜びをかみしめたり休んだりする暇もなく御来光を見るために、柵の東側の最前列をキープして、御来光を待ちます。しかし、ここからが最悪の始まりでした。空はどんどん明るくなって、長野県の山々が遠くに見えてきましたが、なかなか御来光の瞬間は訪れません。動かないでじっとしているので、体温はどんどん低下し、震えが止まらなくなりました。息子も寒さとおなかの具合の悪さでとても辛そうです。それでも、御来光の瞬間まで朦朧としながらもなんとか頑張りました。結局、雲の上から太陽が出てきて、いわゆる御来光となったのは4:50でした。
御来光といえば、暗い中ぱっと空が明るくなり、太陽が顔を出すイメージですが、実際には1時間かけて徐々に徐々に空が明るくなり、太陽が顔を出す前からまぶしくて太陽の方を見ることがきつくなって、そのうちいつの間にか太陽が顔を出しているといった感じです。正直なところ御来光に感動するわけでも達成感に充足するわけでもなく、約1時間も疲労と寝不足で寒い中立ち続けた結果、もはや心身共に限界でした。ただただ疲れ切った状態で写真を撮り、命の危険を感じながら山小屋に入り、カップヌードル(もっともスタンダードな醤油味)1000円をいただきました。基本的にすべてがとても高いので、意外と空いています。体が冷え切っていたので、カップラーメンがとてもおいしくて、スープまですべて飲み干してしまいました。自動販売機がありますが、ホットコーヒーが500円です。息子に勧めましたが、おなかの調子が良くないと言って、息子は何も口にしませんでした。
この頃にはすっかり明るくなりましたが、風もありまだ寒いです。息子は山頂記念碑の前で写真撮りたいとのことで、お鉢巡りに出発しました。股関節痛がだいぶ限界でしたが、何とか頑張ります。もう全く息子についていけなくなりましたが、所々で待っていてくれました。剣が峰の手前の坂が急すぎて、転んだら下まで転がってしまうのではないかと思うほどです。後で知ったのですが、ここで滑落して亡くなった方がいるようです。根性だけで進み、何とか剣が峰までたどり着くことができました。しかし、ここで大問題が発生します。剣が峰にある標高3776mの石碑に登るための登山道に長い行列ができていたのです。標高3776m地点に行って写真を撮るだけでよかったのですが、細い道に登山客が行列を作っているので、勝手に登るわけにもいきません。仕方なく列の最後尾に並んだのですが、驚くほど進みません。おそらくみんな石碑を前にたくさん写真を撮るのでしょう。動画を撮影する人もいるのかもしれません。そういうわけで、とにかく時間がかかりそうです。15分ほど待ってもちょっとしか進まない有様で、その間どんどん気温は上がり、今度は暑さで体力が削られます。本当にもう目の前に3776m碑があるところで、息子と相談してあきらめることにしました。とにかく限界でした。富士山頂上浅間大社奥宮で御朱印帳を買い、焼印をいただき、息子と2人で写真を撮ってもらって、下山しました。
しかし、実は登りより下山の方が大変だったのです。後で調べてみると、富士山登山は下りが地獄であり、修行のような道が続くと言われています。まさにその通りでした。まず、神社の近くの看板には登りと同じ道が下山道と記されていたので、登ってきた道を下り始めました。しかし、登ってくる人とすれ違うのが大変ですし、段差のある岩を下りるのが結構大変です。右手を見ると、砂の斜面を多くの登山客がおりているのが見えたため、そちらが下山道であることがわかりました。下山道とつながるところまで何とか下り、本来の下山道に戻ることができました。この下山道は、山小屋に物資を届けるためのブルドーザーなどが通る道だそうです。一見、平坦な斜面で簡単に下りられるように見えますが、実際にはこちらも相当大変でした。まず、砂の道なので、砂埃がすごいです。そして、砂や小石が足首から靴に入ります。マスクや登山スパッツを持っていたのですが、疲れていて装着する元気もなく、靴に入る砂はあきらめて下ることしかできませんでした。しかし、炎天下のなか、延々と続く赤茶けた砂の道を、ジグザグと下り続けなくてはなりません。
景色はほとんど変わりませんし、いつ終わるのかわからない単調な下りは精神に来ます。さらに、つま先と膝への負担が相当なもので、特に膝が痛くて歩くのが相当しんどくなりました。それでも下るしかありません。持参した水も尽きかかっており、休む日陰もありません。死んでもおかしくないと思いました。それでも這うような心持で何とか歩き続け、かろうじて5合目までたどり着くことができました。登りよりも下りの方が断然きつかったです。だいぶ息子を待たせていて、体力差を感じました。
5合目ではお土産を買う余裕など全くなく、1秒でも早く温泉に入りたいという意見で息子と一致し、バス停に直行します。靴の中には大量の砂が入っていました。バスでは疲れすぎていて寝ることもできません。駐車場で車に戻り、着替えることでやっと戻ってこられてことを実感できました。
車で15分くらいのところにある温泉施設に行き、2日ぶりの入浴を満喫しました。腕が意外と日焼けしていました。その後、歩成でほうとうを食べました。生き返った心地がしました。車の運転は睡魔との戦いでしたが、何とか家に無事帰ることができました。
今回の富士山登山は、天気に恵まれコンディション的には最高でした。きれいな山小屋を予約できたのも偶然ですし、御来光を拝むことができ、お鉢巡りまでできたのは、本当に運が良かったです。それでも、息子に一番思い出に残ったことを聞いたら温泉とほうとうといいました。私も同感です。御来光もさして感動せず、待っている間は苦痛でしかありませんでした。つくづく自分は登山が向いていないことを実感しました。それでも、息子と富士山を一緒に登ったことは一生の思い出になるでしょう。息子はまだ下に2人いますが、もう2度と登ることはないと思いますが。
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